いやあ。久々に痺れる映画を観た。
例えば、野球選手が野球に対する自身の姿勢を表現するときに用いる「俺の哲学」という言葉や、ben foldsが歌ってる「恋の哲学」なんてのは、哲学という概念を拡大解釈しているだけであって、本質の哲学とは次元が違う。
この世の中でリアルなのは、細胞が織りなす肉体なのか、それとも肉体に宿る魂なのか、ようするに合コンとかで話したら完全にドン引きされるぐらい、抽象的で得体の知れない物なのだ。
でもこの哲学というのが、人間が生きて行く上で不可欠なものだから厄介だ。
つまり、意識せずとも、自分が生きる上での意思決定に影響するのが哲学なのでは。
哲学者ですら統一した真理を究明できていないのである。俺がわかるはずもない。
でもこの映画を見て、その長い長い尻尾の先っちょはつかめたような気がした。
哲学は抽象的で難解な物だけど、実はこんなに単純なことなのでは無いかと。
ジュード・ロウもかっこいいし、ナオミ・ワッツもキレイ。ダスティン・ホフマンも名演だ。わかりやすいストーリーに現代人目線での哲学が交錯する。
価値観の違いなんてあって当然。チベットに一喜一憂するし、巨乳も貧乳もいるんだし。
さて、人間はその価値観の違いを超越して、結びつくことができるんでしょうか。
そして、おいTSUTAYA!
この作品をコメディーコーナーに置いとくとは何事だ。
コメディーだと思って借りて行った人が、ブログでエラくこきおろしちゃってるだろうが。
あるブログでは、「作り手目線のコメディーで全然笑えない」とか書かれていて、これをコメディーだと思うのもどうかと思うし、コメディー見たいなら、ホームアローンでも一生見てろと言いたいところだが、人それぞれ。せめてジャンル分けぐらい親切にしてやったらどうだろうか。
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by terugi
| 2008-05-13 00:56
| 洋画